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私のうつ病体験談 うつ病発症原因と地獄と奇跡的出会い [私のうつ病体験記、克服体験談]

岩波先生の心理脳内プログラムに通った人の体験記へのリンクを貼ってきたけれど、ここで自分のうつ病の体験記を書きたい。

のりゆきは、九州のとある大都市で生まれた。
岩波先生によると、悩みのメッカと言われる環境で生まれ育ったが、私の両親ともやはりその都市出身だった。

その環境に加え、非常に保守的な家庭で両親とも生まれ育っており、その影響をモロに受けてしまったのが私であった。
間違ったことは許さない、正しいことだけをする、人から後ろ指を指されない生き方を心がける、いつも礼儀正しく一生懸命で、遊びもかなり制限するような親だった。

ここでお決まりの親は子供の為を思ってそれをしているという言葉が出てくるだろう。
たしかにそうなのかもしれないが、子供の頃の私にとって、家は牢獄だった。
自分を出してはいけない雰囲気だった。
頑張っても褒められず、さらに頑張ることを求められる環境だった。
こういった家の子供は将来うつ病になりやすいんだと思う。

父親は大学教授で、学長にまでのちのち上り詰めた教育一筋人間だった。
母親は主婦をしていたが、地域活動に熱心で、世間体をひどく気にしていた。
彼女もまた一流の女子大学を出た才媛だった。
趣味も少ないような両親に育てられた一人っ子の私はどんな影響を受けて育ったか、似たような環境の人はわかるかもしれない。

男はこうあるべきというしつけの中で、私も後ろ指さされない存在になろうとした。
親にそう教育されたこともあるが、私自身も人から高く評価されたい気持ちは強かった。
いつか親に認められたい気持ちもあった。
私は愛情に飢えていたのだ。

愛って何か? いまなら感覚としてわかるが、子供の頃や中高生、いや大学生の時ですら、その意味がわからなかった。
それもそのはず、離婚こそしなかったが、両親とも折り合いが悪いのかよく口論していた。
お互いに尊敬していた風に私は全く思えなかった。

もしかしたら親が離婚するかもしれないという恐怖と不安を感じて生きていたのだから、心の余裕が制限されてしまったのも無理はなかった。
母親は人間関係が不得手な人で、地域活動で少しでも気に食わない人間がいると、私に愚痴をこぼす。
それで心の平衡を保っていたのだろうが、私にとっては、人間は心を許してはいけない存在だと刷り込まれた

父親は偉い地位にいたため、プライドが高く、上から目線で何事も決め付けるタイプだった。
私は彼から一般の愛情を受けた記憶はなかったと思う。

努力、根性、集中、この3つの重要性を刷り込まれた私は、もちろん実践していた。
しかし、その緊張の糸が遂に切れた
人間は根性だけで突っ走れるものではない。
遊びが必要だと今はすごくよくわかる。
遊びや楽しさが気力を充実させてくれるのだが、私には遊びを与えられなかったから、せいぜい社会人二年目までしか気力が続かなかった。

努力、根性、集中、すべてが私から消え失せてしまった。
商社で働いていたため、非常に激務だったが、その3つができなくなった私は、焦りに焦った。
エンジンがどんどんプスプスっと音を立てて止って行くように、私の精神力も急に燃料切れしていった。

だけど、やらなくてはいけない使命感だけはあった。
だから余計苦しんだ。

急に体も心もついてこなくなった。
急激な失速に、私は焦った。
何とかしようとするが、どんどん気持ちが焦るばかりで、それもストレスになっていった。

そんなダメな自分になってしまったことに、今思えば恐ろしいことに、両親に申し訳がたたないと思った。
目の目の仕事への集中力がなくなり、根性の力で乗り越えようとしてもモチベーションすら湧いてこなかった。
なぜだ? 全く私には原因が考えられない。

今でこそ岩波先生のプログラムを経て、はっきりと私がうつ病になっていくルーツがわかっているし、直感で気づけたところもある(それが脳覚醒技術のすごいところだ、悩みの原因を悟れる)。
しかし、当時の私は、なぜ? なんで? どうして? の?マークだらけで、ますます私の頭は混乱していった。

俺は努力をしなくちゃいけない立場なのに、どうしても心がついてこない
これだけ自分に言い聞かせてくれるのに、頭じゃ本当によくわかっているのになぜだ!!

私はイライラした、焦った、しかしどうすることもできない。
体にも不調を感じ始めた。
朝起きるのが辛い、仕事をしていてもすぐ疲れる、腰や背中、肩が異常に凝る。
胃潰瘍にもなった。

レントゲンを取ると、医者が顔をしかめるくらいただれていた。
私は入院が必要になった。
その後、帯状疱疹になった。
これもストレスのなせる技だ。

私の人生すべてがうまく行かなくなった。
人間関係も苦痛になり、人を遠ざけるように。

うつ病だということが次第にわかり、精神科へ通院し始めた。
だが、両親には決して言わなかった。
精神科にかかることは、人生の負け犬ぐらいに思うような親だからだ。
私自身、そんな自分が惨めだったが、背に腹は代えられない。

だが、うつ病が抗うつ薬で治る希望も打ち砕かれた。
抗うつ薬がとにかく体に合わなかった。
何度かSSRIを変えてもらったが、どれも合わない。
副作用がきついだけだった。
うつ病を余計こじらせてだけになって、ますます私は絶望の淵に追いやられることに。

私は休職を考えた。
仕事でミスが多くなり、取引先からもクレームが来て、私も居場所はなくなっていった。
しかし、ここで休んだらおしまいだという狭い考えが、無理やり私を通勤へと追い立てた。
毎朝苦しくてたまらなかったが、私の最後の意地だったのかもしれない。

だが、この時のうつ症状が一番苦しかった。
ヨガや瞑想にも手を出したが、一向に良くならないし、なにより実感が全くなく、こんなことをやっていてもうつ病が治るかというとそうではない。
本も読んだ。
何かに克服のヒントになればとたくさん読んだが、どれもうまくいかなかった。

催眠療法にも通い始める。
ここもうまくいかなかった。
私は呪われているかもしれないぐらい考えるようになった。

今となってはおかしな話だが、除霊をしにいったこともある。
それぐらい私は追い詰められていた。

このままでは人生が終わる、自殺するしかない、しかし親に申し訳ない、この狭間で私はもがき苦しんだ。
そこで転機が訪れることになる。
私にとって奇跡的な出会いだった。
これが私の人生を大きく変えることになるし、子供時代からの私にケリをつけ、両親との因果にもけりをつけることになった出会いだった。

 神経症克服プログラムとの出会い 私にありえないことが起きた [私のうつ病体験記、克服体験談]へ続く


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